2009年12月19日土曜日

片山右京遭難


富士山で遭難か。
山は怖いよ。なんで山なんか登るんや。まして雪山。

ワシも昔、大昔、社会人山岳会にいた時、富士山で雪山訓練に行ったことがある。夏は5合目まで車で行けるけど冬は下から歩いて登る。
富士山は快晴。
快適な雪上訓練。
歩き方、ピッケルの使い方、わかんじき、アイゼン、ザイルのさばき方、テントの暮らし方、雪を掘ってトイレなどなど。
みんなで並んでウンコした。

天気が良かったので楽しい冬山訓練だった。

富士山で覚えたことは正月の槍ヶ岳登山で役に立った。
アイゼンがはずれてバランスを崩し滑落した。
その瞬間はスローモーションの画像を見ているように岩壁の状態がはっきり認識でき、雪、岩、雪、岩とまだらになっている雪のところにピッケルを打ち込んで体を止めることができた。

止まった・・・。!!!

あれからワシはおまけの人生を楽しんでいる。
山も好き。

片山右京、助かって良かった。同行二人は死亡。よくない・・・。
残された者がかなわん。

山に登っていた時は危険が嬉しかった。山岳保険にははいっていたけど・・・。

3 件のコメント:

shizuko さんのコメント...

「いつもだれかが…」ユッター・バウアー作・絵 いいですよ。

谷口真吾 さんのコメント...

死と向き合う経験はだれもが一度はしているでしょう。ない人もいつかは直面します。

私の昔の友人M子さんは脳腫瘍と子宮の異常、もしかすると他にも?
時々電話がかかってきます。
泣きながら、あるいはあきらめの口調、達観、どうにもやりきれない話し。
「ワシにできることは?」
「なんにもありません。」
「そうだよな。」

自分の人生には何もいいことがなかった。と思っているのかもしれない。
それでも「いつもだれかが・・・」と言ってあげなければいけないのか?慰めになるのか?

shizuko さんのコメント...

M子さんはクリスチャンではないのでしょうね。とにかく祈りながらみことばを伝えて励ましてあげたいですね。
もしも手紙やハガキでも書くことが許されたらぜひそうしたいです。
人が与える事のできない平安を主が与えて下さる様に祈ります。